運の悪い時間の影響をなくす方法

運の悪い時間の影響をなくす方法

運の悪い時間の影響をなくす方法

投稿日:2017年10月12日

 

今日は久しぶりに運の気づきや仮説についてまとめておきたいと思います。

 

運がどうなるというような話は占い師もよくしますが、ではどうすればその根本的な改善ができるのかということは意外と話をしません。

 

この理由としてはいくつかあるのですが、そもそも改善策の出てこない占いというものも多いからです。

 

また占い師に思考能力がないというときにはただ決まった運命を伝えるだけで終わってしまうという能力的な問題もあります。

 

四柱推命での大運で悪い時期は非常に長い

 

日本で一生運を調査するには四柱推命がまず有名です。

 

西洋では西洋占術もありますが、両方とも同じような運命の結果となり、どちらも有力といえます。

 

四柱推命では大運という概念があり、5年、10年とその長い期間の運命を支配する強力な要素といえます。

 

良い時期は良いのですが、その大運が悪いと最悪で、10年などと比較的長い時期不遇を感じないといけません。

 

今回私が考えたのはこの大運の悪い影響をカットする方法です。

 

おそらく四柱推命を勉強している人でも意外と知らないということは多いのではないかと思います。

 

大運と時間と空間の影響力

 

大運というのは要するに時間のエネルギーです。

 

この時間の影響をできるだけ緩和するには別のエネルギーを応用するという方法もあります。

 

時間と対抗できそうなエネルギーといえばいくつか考えてみたのですが、まず空間だといえます。

 

つまり空間をうまく活用すれば良いわけですが、有名なものといえば祐気取りがあると思います。

 

しかし私もこの祐気取りは面倒でしていませんので、実践していくには相当なハードルがあるでしょう。

 

ですので空間によって時間のエネルギーをカットするといえば

 

  • 祐気取りを行っていく
  • 引越しの方位を有利なものにする
  • 仕事を有利な五行のものにする
  • 配偶者を有利な五行属性の人にする

 

などというようなものなどがあります。

 

仕事、配偶者などは方位でないので空間ではありませんが、自分の五行属性を変える効果は多少なりともあります。

 

そのため一応方法論にピックアップしてみました。

 

仕事などでなくても人生に大きな影響を及ぼすものであれば有利な五行を選択することで時間の影響を緩和する効果は出てくると思います。

 

たとえば辛い時期に入って、配偶者の性格に救われるということもあるでしょうし、その子供に救われるということもあるでしょう。

 

配偶者の選択によっては子供ができないということもありえます。

 

大運と時間軸での対抗

 

9月ごろに上の空間で時間に対抗するという仮説は思いついていましたが、なお10月も考えていました

 

そこである四柱推命の構造を思い出しました。

 

四柱推命というのは人生の縮図や構造しか出てきません。

 

たとえば手を使う仕事で権力を持つ人というような感じですが、これで金運のすごく良い人でも

 

  • 金属加工業
  • あるいはシステム的な仕事
  • 執刀医などの医師

 

とどちらでも良いですし、またどちらでもお金持ちにもなります。

 

具体的に何の仕事というのは出てこないようになっていますが、人生の中身は当然変わってきます。

 

権力的という意味ではシステム的な仕事で国家プロジェクトに入る人もいれば、国際的なグローバル企業で管理職につく人も出てきます。

 

しかし金属加工業に就職し、その中小企業で管理職につく人も出てきます。

 

何をいいたいのかといえば規模やスケール、影響力はまったく同じ日と時間に生まれてもその後の生き方で違うということです。

 

しかし人生の縮図は四柱推命では同じなわけで、要するにどのような選択をするのかという違いがあるだけです。

 

ここに注目したのが今回の気づきですが、四柱推命では決断に適した時期と適していない時期とがあります。

 

簡単にいえば運の良い時期に決断をし、そうではないときには今までの延長の作業を継続していくということです。

 

これを続けることで運の形は変わらないとしても、運の底上げにはなるので厳しい大運に入っても底上げの分楽になるということです。

 

たとえば

 

  • 医師をしていて貯金が5000万あって、運の悪い時期に大金が必要となったが借金なしで乗り越えられた
  • 中小企業に貯金が1000万あったが、運の悪い時期にやはり大金が必要となり多額の借金をして、運の悪い時期が過ぎても借金返済をしなければいけなくなった

 

というような違いが出てくるということです。