投稿日:2017年11月11日
瞑想がかなりうまくなったとしても瞑想状態をずっと日常生活で維持することはできません。
何か決断しなければいけないこともありますし、それによって不愉快な気持ちになることもあります。
しかし瞑想をすれば本当の自己は常時幸福な状態にあることに気づけます。
そのときにホッとするとともに、私はなぜ外的自我が苛烈であるのにずっと幸福な状態を維持できるのかという原理や構造的な箇所が気になりました。
本当の自己というのは一言でいえば集中状態にあることをいいます。
瞑想であれば外的自我は本当の自己である呼吸に集中しますが、おそらく本当の自己も自分の活動にだけ注意集中をしていると思います。
本当の集中とはまったく思考や想念を遮断することをいうので、自我というものは存在しません。
つまり自我という境界もなく、すべての状態です。
私の経験したところ、集中というのは最強で、どのような状態にあっても常時幸福でいられるのです。
瞑想に熟達すればどのような不愉快な感情も無視することができ、それによって自分内部の混乱を解消できるでしょう。
今まで意外と疑問に思わなかったのですが、本当の自己とはなぜ常時幸福なのでしょうか?
よく考えてみれば非常に興味深いところです。
今まで認識しているのはもともと本当の自己の成分自体が幸福であるので、瞑想で本当の自己と一致すればいつも幸福な状態になるというように理解していました。
それは間違いないと思うのですが、ではその本当の自己がなぜ常時幸福なのかというのはそこに解はありませんでした。
しばらく考えてみたのですが、ある仮説にいきあたりました。
このような特徴が瞑想にはあるのですが、強い注意と非常にやわらかい放下したような緩和とが両立していることになります。
ちなみに瞑想状態の脳波を科学的に測定すれば緊張と緩和とが両立した非常に不思議な状態といわれているようですが、そこには注意とそこから発生するごく自然な集中とがあるからといえるでしょう。
つまりバランスが成立しているので幸福な状態でいられるのではないかと思ったわけです。
すぐに思いつくのはこの2つのバランスですが、そのため本当の自己にいわゆる物質的な人間性をまったく感じません。
しかし同時に強烈な生命を感じるので、まさしくそれは存在し生きている生命自身でもあると明確に断言もできます。
10年以上も瞑想していれば一般的な人よりも苦悩についての耐性はついてくると思います。
とはいえ日常で小さな悩みに苛まれるということはどうしても出てきます。
そのときに完全に本当の自己を外的自我に満たして幸福状態になるというのはやはり難しいですし、なったところで現状存在する問題を解決できないことは多いです。
その場合には
最近よく感じるのですが、よほど冷静と考えていた自分でも何かの問題に遭遇したときに感情が発生しているということがよくわかるようになりました。
(多分ビリーマイヤーさんの瞑想を続けている人であればこの「冷静になるということ」は自然に理解できるようになるかと思います)
この感情に気づくだけでもかなり冷静になれるのですが、それとともに自分の内部の混乱を整理することもできるようになる可能性もあります。
時に人生では死ぬかもしれないというような激しい肉体的、精神的な苦痛と遭遇することもあるわけですが、その痛みに冷静に対応できるスキルというのは非常に自分の助けとなってきます。