投稿日:2013年12月30日
2日前の29日の土曜日の話です。
この日は真理の杯のドイツ語を目視していました。
その後5時間ほど経過し、歌番組を見ていました。
ある歌を聞いていて、その歌詞の意味を考えるような感じがありました。
歌も歌詞も忘れましたが、
「人生はつらいことも多いけど、それをクリアしていくことが大事なようだ」
というようなことを思いました。
その後、
「そういえば昔も同じようなことを考えたことがあったかもしれない・・」
と少し昔に意識が行きました。
そのときに意識上に異質なものが微弱に漂っていることに気がつきました。
「これはこの人生のものではない」
とすぐに気がつきました。
「そういえば今日は真理の杯のドイツ語目視をした。
その影響のようだ」
すぐに悟りました。
そのときに見たのは
「つらい人生の出来事をクリアしてきた体験の知識でした」
そのときに少し感じました。
霊的世界の中に過去生の認識や知識はどこにあるのか?ということです。
今回の事例でいえば、無意識に発露された感情に反応して過去生の体験・認識が蘇りました。
つまり感情、あるいは霊的心情と関係して蘇るということはいえるのかもしれません。
人は物質的にも感情(どのような不自然なものでも)によって支配され、運命を形成し、そのままマリオネットのように人生を終えます。
この点、感情の部分の自分を超えることはできません。
今までどんなすごい人も、それは変わりませんでした。
感情をどう活用するのか(良い方法か悪い方法かは別にして)、感情というのは人生あるいは宇宙において決定的な形成能力があるのかもしれません。
似たもので、幸福という心情といった霊領域のきれいなものがありますが、たしかにこれを感じれば他のいかなるものも必要ないと思わされます。
以前にも記載をしましたが、
「決定すること」
「感情・心情」
これらは過去と未来を形成する要素なのかもしれません。