2013年6月26日 死の恐怖と対面する

投稿日:2013年6月26日

 

昨日はドイツ語コード目視(アラハト・アテルザータ」をしました。

 

それからすぐに眠ろうとしました。

 

そのときに久しぶりに「死の恐怖」を知覚できました。

 

  • 瞬間ごとに自身の肉体が朽ちていくことをまさに知覚する
  • 時間の進行への恐怖と諦め
  • 絶対に避けることのできない死の知覚

 

久しぶりだと最初は感じていました。

 

しかししばらく体感していると甘くない事態を迎えることになりました。

 

やはりあの死の知覚にはまだまだ克服できないということのようで、恐怖を感じるようになってきました。

 

「この恐ろしさ、どうすれば良いか?」

 

と感じつつ、過ぎるのを待っていました。

 

やはり本物の体験は勉強になると思いました。

 

2年ほど前の死の恐怖のドイツ語体験から少しづつ研究してきたつもりでしたが、まだまだのようだと感じました。

 

本物の体験は人に進歩を与える

 

真理を研究している、という人には自身で瞑想・ドイツ語超体験で体験をし、それを分析し、かつ再現できなければ、死や苦境といった土壇場では何の意味もありません。

 

ただ押し流されるだけです。

 

あるのは別の後の人生で真理を再現できる可能性があるということです。

 

自身でまったく同じ体験をして、認識を得なければいけません。

 

物質的納得に意味はなく、生命属性のある感性の部分で認識をしなければどれほど強がっても土壇場では虫のごとく死ぬという選択肢しかないのです。

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