釈迦、ババジの言葉記事一覧

投稿日:2016年3月14日ここ何年か自宅で仕事作業ばかりで外に出る機会もなく、ときどき散歩を日課に入れるようになりました。またいくつかのことがあり、人間の死について考察する機会をもらいました。そのときに感じたことを記載してみたいと思います。吐血と人の表情の変化ある知り合いが急に風呂で吐血したと連絡をもらいました。すぐに会ったのですが、顔の表情が一変しました。死を予感したのだと思います。とりあえず...

投稿日:2014年4月19日釈迦は悟りを開いた後も「たびたび悪魔のささやきがあった」とされています。本当の悪魔ではなく、「過去の自分の考えた良くないこと」の潜在意識からの返りであると考えています。それは物欲色欲教示欲その他意識的な欠陥による過去のよくない慣習や習慣であったと思います。釈迦は内省的であり、反省が強い人ではあったと思いますが、このような人物像の傾向としては他者の痛みを敏感に共感したり同...

投稿日:2014年3月8日昨日は散髪に行き、その帰りに本屋さんで苫米地英人さんの著作を読みました。「空海は,すごい 超訳 弘法大師のことば」空海について記載されている本ですが、空海と釈迦の理論について比較されて書かれていました。その中の一文に目が止まりました。「釈迦の縁起とは実体がないということの理解」といったような記載がありました。菩提樹の下で釈迦が開いた悟りとは縁起と言われています。私も随分前...

投稿日:2013年10月12日よく釈迦の伝記などを見ているとこの言葉が出てくると思います。真理でもこの「迷い」というものは大きなテーマでもあります。釈迦の指す迷いとは何か?まずこの釈迦の言う「迷い」ですが、どのような意味かというと「根源的な疑問」を指すといえます。たとえばなぜ生きるのか?何を目的に生きるのか?どう生きれば良いのか?死ぬとどうなるのか?次の人生はどうなるのか?私とは誰なのか?といった...

投稿日:2013年5月10日現在でも歴史上に釈迦・仏陀の名前というのは残っています。その理由としては、同氏の言葉を記録したり、伝達した人がいたからだと思います。伝達されているうちに、話が大きくなったり、話の本質がぶれたりということは十分にあると思います。しかし上記の理由から、現在、釈迦・仏陀という歴史上に残った理由というのは、その説法にあったといえると思います。釈迦は自ら説法をしたかったのか?真理...

投稿日:2013年5月9日細かい話ですが、誰々の教えという言葉がよく使われます。釈迦の教えイエス・キリストの教え仏陀の教え教えを説く人は多いですが、個人的な教義というものはこの世にありえません。たとえビリーマイヤーさんであってもこれは同じです。どのような人間であっても、目に見えない存在であても自己の教えというものは非常に悪質なカルトです。宇宙とは1つの生命体宇宙は1つの生命体だという人は多いです。...

投稿日:2013年5月1日仏教では生老病死は苦悩であるとしています。しかしここには重要な改ざんがあるように思います。少し紹介します。仏教の戦略が隠れている生老病死が苦悩とすると実は仏教の利益があります。苦悩ばかりの人生に人は希望を失います。来世に希望を持つかもしれません。しかし少なくても今の人生に希望はなかなか持てません。そんなときにつらいことがあればどうなるでしょう?絶望をするかもしれません。こ...

投稿日:2013年4月30日ババジ伝を読書してみました。しかし著者がババジの言葉の一部を記載したようになっていますので、宗教依存の傾向が強い著者の見解が非常に強く含まれたものでした。以下の3つの部分には少し心を惹かれましたが、その他については明らかな誤りも多数含まれていました。賢明な方、真理を追究しようという方には到底おすすめできる著作ではありませんでした。ババジ伝で心に残った箇所の抜粋ババジ伝 ...

投稿日:2013年4月23日真理の体現者のさとった中道とは・・・それはじつに「聖なる八支よりなる道」である。すなわち、正しい見解、正しい思惟、正しいことば、正しい行ない、正しい生活、正しい努力、正しい念い(おもい)、正しい瞑想である。・・・(サンユッタ・二カーヤ)中道とは?上記を見ますと、八正道というものは、中道と深く関係していると思います。正しい内的な状態によって苦悩を解くことができるという趣旨...

投稿日:2013年4月23日人が「これはわがものである」と考える物、それは「その人の死」のよって失われる。われに従う人は、賢明にこの理(ことわり)を知って、わがものという観念に屈してはならない。(スッタニパータ 756)執着である「わがもの」物質意識には長年、もしくは前世からの蓄積があります。それは習慣ともいえるものであり、非常に長い間、「わがもの」と考えてきた結果、形成された「自我」というもので...

投稿日:2013年4月23日「この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲望や貪りを除き去ることが、不滅のニルヴァーナの境地である。」(スッタニパータ 1086)ニルヴァーナとは?釈迦によると欲望や貪りを除いたあとに生じてくるものがニルヴァーナということです。バランスを失った苦悩の原因である想念・感情・意識を止めることで、内にあるのが感知できるものということかもしれません。私は...

投稿日:2013年4月23日「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空(くう)なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り越えることができるであろう。」(スッタニパータ 1119)「空」とは?釈迦のいう「空」とは「執着のない内的状態」を指すと思います。死や人生の浮き沈みを恐れるのは、自我に執着している最たる証拠です。自慢するのも、人を嫌がるのも、ボランティアできないのも、真の愛を感じられな...

投稿日:2013年4月18日昨日の認識をもとに「執着」について考察したいと思います。「執着」という言葉でやはり想起されるのは私にとってはやはり釈迦です。釈迦の悟りとは「縁起の法」とされます。無明生活作用識別作用名称と形態感受機能対象との接触妄執執着生存出生苦悩上から順番に下へと発生させていくスパイラルを見たとされます。もしこれが正しいとすれば、執着はほんの表層部分の苦悩の原因に過ぎません。無明とは...

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