釈迦の言葉 「わがもの」とアートマン

投稿日:2013年4月23日

 

人が「これはわがものである」と考える物、

 

それは「その人の死」のよって失われる。

 

われに従う人は、賢明にこの理(ことわり)を知って、わがものという観念に屈してはならない。

 

(スッタニパータ 756)

 

執着である「わがもの」

 

物質意識には長年、もしくは前世からの蓄積があります。

 

それは習慣ともいえるものであり、非常に長い間、「わがもの」と考えてきた結果、形成された「自我」というものです。

 

無意識にみなこれに親しみ、そして死のときは、自我が許容しないことが起こったときに、人は苦悩します。

 

しかしこのような苦悩のときでも、注意深く意識を見つめると、真実は見えることがあります。

 

それは苦悩の原因とは、自我にあり、執着にあるということです。

 

真実に苦悩は意識と感情にしかなく、ほかにはないという事実です。

 

またその意識と感情の苦悩も時間によって流され、維持されるものではないということです。

 

経験から、私はこう思っています。

 

「意識の奥、感情を自然に沿って形成することができれば、苦悩を解消できる」

 

人で修練できていない場合、苦悩の原因さえ見切れません。

 

しかし意識が強化されると次第にどこに苦悩の原因があるのかを確認できるようになります。

 

そしてその苦悩とは真実の自分とは関係なく、意識の混乱にあることがわかるでしょう。

 

釈迦は一方でアートマンを重要視した

 

上記のように釈迦は「わがもの」とする観念を執着として苦悩の原因と切り捨てました。

 

しかし一方でアートマン(真我)を求めよと説法しています。

 

これを矛盾という人もいますが、矛盾ではないと考えています。

 

つまり、苦悩の原因の「人格の執着」を否定しつつ、一方で代わりに「アートマン」という真の自己と探せということだと思います。

 

要するに嘘の自分でなく、本当の自分を感性の中で探すことが重要ということではないでしょうか?

 

この真我というのは、私はビリーマイヤーさんの言う「霊」であると仮説を立てています。

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