釈迦の言う「執着」とは

投稿日:2013年4月18日

 

昨日の認識をもとに「執着」について考察したいと思います。

 

「執着」という言葉でやはり想起されるのは私にとってはやはり釈迦です。

 

釈迦の悟りとは「縁起の法」とされます。

 

  • 無明
  • 生活作用
  • 識別作用
  • 名称と形態
  • 感受機能
  • 対象との接触
  • 妄執
  • 執着
  • 生存
  • 出生
  • 苦悩

 

上から順番に下へと発生させていくスパイラルを見たとされます。

 

もしこれが正しいとすれば、執着はほんの表層部分の苦悩の原因に過ぎません。

 

無明とは霊的無知とすると、つまりは「自己認識の欠如」と解釈できると思います。

 

本当の自分と、虚偽の自分の区別が知識としてないために、意識が混乱をきたし、やがてその意識の姿勢が苦悩を生じるということだと思います。

 

わがものという観念

 

「人々は「わがものである」と執著したもののために悲しむ」

 

(スッタニバータ805)

 

という言葉もあるようですが、本来私でないものを私とするのが苦悩の原因かもしれません。

 

この話は「強制的強制」(人が変更できないものはあきらめること)という生きる姿勢・意識の姿勢についてだと思います。

 

釈迦の縁起と認識と比較すると、おそらく妄執・執着と関係しているように思えます。

 

私の瞑想での認識から検討すると、釈迦の執着とは、「どうにもならないことをどうにかしようとする」地球人の特有の意固地さ・頑固さ・つまり妄想と執念ではないかと思います。

 

流れ去るものを観察し、やって来るものも受ける。

 

という自然の川のような姿勢が、その人に天国をもたらすようです。

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