投稿日:2014年4月19日
釈迦は悟りを開いた後も
「たびたび悪魔のささやきがあった」
とされています。
本当の悪魔ではなく、
「過去の自分の考えた良くないこと」
の潜在意識からの返りであると考えています。
それは
であったと思います。
釈迦は内省的であり、反省が強い人ではあったと思いますが、このような人物像の傾向としては
ということは多々あったと思います。
これらを総体的に悪魔と称しました。
要するに悪魔とは
「過去の自分が思ったことや感じたこと」
ではなかったかと思います。
それは潜在意識で返却され、意識に再び感じてしまうものです。
ちょうどそれが解消されないまでずっと再試験や追試が実施されるようにです。
結論からいえば、解消できなかったと推測しています。
生きる人間がすべてを解消することは不可能です。
それはビリーマイヤーさんでも同じだと考えます。
100点の人はこの世に生きる意味もないでしょう。
しかし問題は、悪魔をどの程度解消したかが重要であるということです。
つまり過去の想念をどの程度無視できたか?良くないものをどの程度緩和できたかということではないでしょうか?
この点いつも私は自戒していることです。
この人が100点をとることは絶対にありません。
しかし点数を少しづつアップさせることは可能です。
それが生きる意味であり、進歩というものです。
手段は1つしかありません。
それは瞑想によって注意集中力をアップさせ、
という方法です。
ちょうどうつ病や精神病を自分で治療しているようなものです。
しかしこれはとても大きな勉強となります。
私も悪魔と戦っています。
ここ数か月自分の良くない完璧主義と格闘していました。
とても苦しい戦いで、押し切られそうに何度もなりました。
「こんなことではこの先生きていけない」
と過去想念を無視し緩和することに尽力してきました。
そして勝利を得たときには何ともいえない達成感があります。
自分の中で強制的非強制を鉄壁の守りとして防御力に使用するわけです。
ときに想念に騙されそうになります。
しかしこのような戦いに勝利しつつある今少し見えてきたものがあります。
それは
「人生の苦痛にも勝利する用意ができつつあるのではないか?」
という景色です。
ひ弱だった昔の自分を遥かに超えて、1レベルアップできたようにも思いました。
内的な能力を習得するのは本当に自分の助けになると思いました。