私には迷いがない

投稿日:2013年10月12日

 

よく釈迦の伝記などを見ているとこの言葉が出てくると思います。

 

真理でもこの「迷い」というものは大きなテーマでもあります。

 

釈迦の指す迷いとは何か?

 

まずこの釈迦の言う「迷い」ですが、どのような意味かというと

 

「根源的な疑問」

 

を指すといえます。

 

たとえば

 

  • なぜ生きるのか?
  • 何を目的に生きるのか?
  • どう生きれば良いのか?
  • 死ぬとどうなるのか?
  • 次の人生はどうなるのか?
  • 私とは誰なのか?

 

といったこととなると思います。

 

この質問に完全な正解を出せる人はすごいと思います。

 

(表面的な体験の伴わない回答に意味はありません)

 

これらをすべて解くものが実はみなの意識の奥には常に存在しています。

 

そしてそれは瞑想で遭遇することも可能です。

 

本当の集中には疑問はない

 

浅い瞑想は別ですが、本当に深い瞑想では理想的な集中状態に入ることができます。

 

そこには想念もなく、日常の私もいません。

 

ただあるのは機械のように作動する呼吸と、それに対して機械のように集中する純粋な精神です。

 

そこには想念もなく疑問もありません。

 

ただ己の使命を果たすしかありません。

 

そこは完全な疑問のない領域で、いかなることがあっても何の動揺もありません。

 

この状態を日常達成できればまず「迷い」はないこととなります。

 

しかしそれが大変難しいのです。

 

瞑想でこの領域を確認してさらに長い年数がかかります。

 

このような瞑想を何度も経験することで、人・霊の本質を見切ることができるのではないかと思います

 

そして上記の多くの疑問に対して自身で回答を持つことができると思います。

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