投稿日:2016年3月14日
ここ何年か自宅で仕事作業ばかりで外に出る機会もなく、ときどき散歩を日課に入れるようになりました。
またいくつかのことがあり、人間の死について考察する機会をもら
投稿日:2013年5月1日
仏教では生老病死は苦悩であるとしています。
しかしここには重要な改ざんがあるように思います。
少し紹介します。
生老病死が苦悩とすると実は仏教の利益があります。
苦悩ばかりの人生に人は希望を失います。
来世に希望を持つかもしれません。
しかし少なくても今の人生に希望はなかなか持てません。
そんなときにつらいことがあればどうなるでしょう?
絶望をするかもしれません。
このようなケースで、人は救いを求めます。
絶望を解消したいというのは、この世の中道を求める生命体の永遠の望みでもあるからです。
ちょうど寒い日に暖かい風呂に入ると心地よいように。
救いは真理でなく、現在では宗教に向く可能性が高いです。
すると、生老病死の理論は、やがて信者の獲得になります。
瞑想をすればわかると思います。
真実にはすべての場面で、苦悩というのは存在できません。
ただ生命・幸福があるのみであり、その他のものは存在しません。
あの領域には、苦悩はおろか、努力も、思い込みも、やりがいも、生命・幸福などといった精神的価値以外のものは何も存在しません。
従って、生老病死が苦悩であるというのは間違いであるようだと思います。