投稿日:2013年5月10日
現在でも歴史上に釈迦・仏陀の名前というのは残っています。
その理由としては、同氏の言葉を記録したり、伝達した人がいたからだと思います。
伝達されているうちに、話が大きくなったり、話の本質がぶれたりということは十分にあると思います。
しかし上記の理由から、現在、釈迦・仏陀という歴史上に残った理由というのは、その説法にあったといえると思います。
真理に精通した人は、その内容を人に話したくなる欲求というものがあります。
真理というものを理解すると、その素晴らしさや、意義という観点から伝えてあげたほうが良いように感じることもあります。
また伝承にも明らかに残っていますが、釈迦の場合には人々から質問され、それに対して回答したという形での説法も多かったように思います。
釈迦の言葉に真実の光があったこと、彼の経歴、噂、などが彼の存在や説法に重みを加えていたことが質問者を多く生じさせたということもあるでしょう。
現在のビリーマイヤーさんがそうであるように、生存中はそれほど崇拝されたり、説法が広まったりということは少ないといえます。
死後、神格化されてしまい、死人となり肉体や息遣いがなくなり、意識の弱い人が崇拝するような宗教を作るのが世の常です。
キリスト教もそうして普及してきました。
おそらく釈迦も生存中には神格化されていなくて、同氏の言葉の深さなどに本当に気がついていた人は少なかったと思います。
死後伝説となってから宗教となり広まったといえます。
釈迦が説法をしたのは、自身の体得した知識を話したいという欲求もあったと上記に記載しました。
これとともに、彼には使命感もあったのではないかと思います。
真理を知らない人に自身の責任のもとで、知りうる事項を伝えるようなことも使命とも考えていたと思います。
釈迦の生きた時代は、2000年を超える前の時代です。
まだまだ文字や紙の使用も充分でない時代だったと思います。
仏教の教典などでどこまで釈迦の本当の説法はそのままの形で残っているかは微妙だといえるでしょう。
私の知る限り、明らかに改ざんの後も確認できる箇所もあります。
そのため釈迦の言葉が本当にそのまま残っているものというのはないと考えるのが妥当ではないかと思います。
私の見たところ、
ということが一番の真実への近道ではないかと思います。