投稿日:2018年6月5日
2018年4月後半から5月の中旬にかけて真の自己について引き続き追求し、いくつか今までになかった感覚や気づきを得ることができました。
今回は一気にまとめて今段階
投稿日:2009年10月31日
今回の記載内容はドイツ度の影響の可能性が高い。
瞑想をしようと思い、座り、目を閉じた瞬間に一瞬で見えそして理解した内容である。
瞑想中、意識は呼吸に注意しようとする。
しかしこのとき想念が意識に押し出てきて考えを促す。
注意は呼吸に向かいたい。
このとき想念は注意に来てもらい、想念を開始したいので苦しさを感じている。
つまり
想念 ← 注意 → 呼吸
という図式になっている。
注意が想念にいくときに、呼吸への意識はない。
注意が呼吸に行くときに、想念は止まる。
つまり、注意が想念と呼吸を成立させている。
そして想念と呼吸は注意を奪い合っている。
上記の内容の呼吸という箇所は、対象への意識的な注意といって良いと思います。
そして想念というのは無意識に注意してしまうものといえます。
例えば、大きな音がなるとそこへ注意は向かいます。
このときに勉強していると注意したいことは勉強です。
音ではありません。
このように意識的に注意したい対象(勉強)と、無意識に注意させられる対象(音)とがあるということです。
しかし私の観察では日常のほとんどを無意識に注意させられている意識中断の時間となっています。
瞑想をしていない人はさらにこの様相が強いです。
これは苦悩の発生と強く関係する人間の内的構造ともなっています。