投稿日:2018年3月8日
先月の2月下旬と3月初旬に2回のやや大きめな瞑想での認識がありました。
両方とも精神的に追い込まれた時期の瞑想だったのか期日のメモを取り忘れましたが、記憶がある程度はしっかりとしています。
備忘のために記事にしておきたいと思います。
特にこのときは瞑想で違った体験や感覚を持ったということもありません。
いつものように
というようになっていったのですが、急にある感覚が出てきました。
ちなみに一切の想念なくただ客観的に感じるものは完全な真実であり、思考作業とはまったく違います。
そのときに出てきた感覚というのは存在するものは呼吸だけというものです。
上でも少し記載しましたが、
というようになります。
つまり真実の領域では呼吸や呼吸を動かす何者かの無意識的機能しか存在しないのではないかという感覚です。
その他のものは一切無常でどうでも良いことといっても良いのかもしれません。
この日も同じように瞑想していたのですが、やはり突然瞑想中に今までと違った認識を感じることがありました。
それは一体化しか存在しないというものです。
瞑想というのは対象との一体化、同一化をすることですし、その訓練でもあるようです。
一体化というのは対象になりきることでもあり、おそらくすべての存在の根本的な原則で、この同一化によって宇宙のすべては成立しているように思っています。
逆に瞑想中にはしばしば感じるのですが、一体化すれば対象以外は存在しないという状態となるということです。
想念も思考も寒いなどの日常的な感覚も存在しません。
意識は一体化しているのである意味では対象そのものでもあり、結果として対象しかないというようにも見えます。
すべてのものがこの一体化によって成立しているのであればすべての根本は同じものといえます。
つまり文字通りに宇宙はこの人も含めて同根であるともいえます。
このような感覚を一瞬感じて瞑想中に寒気を感じたという経験でした。
おそらく寒気の理由は私のレベルが低いので、深遠な真理の一端を感じて驚いたというところではないでしょうか?
察しの良い方であればここまでですでに気づいているかと思いますが、今回の2つの認識といいますか感覚はつながっています。
存在についてしかないという状態では同じということです。
3月初旬の瞑想では2月下旬の認識を思い出すこともありました。
この人の目的は真の自己を体験し、理解することにあります。
それが達成できれば今回の人生の大半の目的を達成できたともいえます。
今この段階で真の自己についてはいくつかのことを根拠にして無意識ではないかと考えています。
他にもいくつか根拠はあるのですが、ただこれを確実に証明するには瞑想中に無意識になることで、真の自己であることの直接的な証明が必要となります。
残念ながら今のところその証明となる現象や体験、感覚は経験できていません。
今回の2つの認識も真の自己とやや浅く関係しているようにも思うのですが、真理の杯を目視しつつさらに内的経験ができないか追求していきたいと思います。