投稿日:2017年12月11日
瞑想をはじめて13年ほどになるかと思います。
最近瞑想以外の日常で1つ感じたことがあるので備忘のために記載しておきたいと思います。
私の場合、浪人生のころからリスク管理という意識が非常に強く働くようになりました。
など主に意識は将来に向いて生きている人です。
こう書くと非常に合理的で冷静なような気もするのですが、私も自分でそう感じていました。
たとえば私の知人が近所に家を数年前に購入しました。
しかし土地を見て、雨の強さが強くなっていく時代を考えて、しばらくすれば洪水に悩まされるだろうというようにその購入時点の数年前に予測し指摘していました。
知人は駅が近いということで購入を決めたのですが、果たして今年の秋に大和川の洪水を迎えました。
幸い浸水はしなかったようですが、また私は予測しました。
という内容です。
そして私は知人に言いました。
あの場所に家を購入したので浸水前提にした考えだと思っていたのでなぜ今回浸水で悩んでいるのかよくわからないというものです。
知人は不思議そうに思ったようですが、冷静に考えればそのような結論となります。
しかし今回意外とこの人も感情に対して冷静でないときもある(といいますかかなりある)ということを認識しました。
将来への思考というのはどうしても恐怖感を伴うものですし、ケースによっては切迫した強迫観念のようなものにとらわれることもあります。
たとえば
などというのは冷静に考えているつもりでもやがて恐怖や焦燥を伴うようになります。
思考や分析というのは客観的な数値計算であるうちは良いのですが、そこから自分を守ろうとすることで冷静さを失います。
群衆心理というのはその感情が伝播したときに起きます。
最近なぜか今回のような感情的になる自分に気づき、そして冷静にいよう(自分の感情を無視しよう)という姿勢を取れるときもあったわけですが、
というような方法は有効的ではないかと思います。
人生というのは血液の循環が行われること、呼吸ができること、などから含めてすべては奇跡のようなものでもあります。
体の機能を少しでも損なうとこの瞬間にもどうにかなるでしょうし、それをサポートしてくれている存在がずっといるのですべての動植物は存在できます。
また人生でも友人、知人、家族、会社など不満はあるにせよ、いろいろなサポートを受けて生活を成立できます。
このような存在もなくなると人生が形成できないということもよくありますし、体が健康でも人生そのものもやはり奇跡のようなものといって良いと思います。